過去記事アーカイブ

水曜ラベクル★『没後100年・小泉八雲@Lefkada』par北山裕子

2004.08.15

Visitons au coin de la rue , pour trouver notre specialite !
第32回『レフカダ島/ギリシャ』(07/28/2004放送分)

いよいよ始まったアテネ・オリンピック☆熱帯夜とは別に、眠れない日々(深夜に悶絶/悲喜交々)が続きますね~XXX

さて、そんなこんなで?7月末の旅は「何が何でもギリシャ」「出来たら納涼」∴『怪談』の作者・小泉八雲が誕生した新宿区の姉妹都市(帝国大学~早稲田大学で教鞭をとった彼の最期の地)でもある、とあるギリシャの島を取り上げました。

生家跡等、縁の場所が多数残っている(しかも紹介プレート付きで)にも関わらず、彼が3歳の頃に島を出た為か、八雲の知名度は殆どゼロ!?(トホホ)なこの島。
今年8月、没後100年にして「初めての」追悼イベントを開催中⇒目玉は、日本から招いた琵琶奏者による『耳なし芳一』の弾き語り…果たして現地の人々は、どんな印象&感想を???

因みに「小泉八雲」の名前は、彼が愛読していた『古事記』に書かれた日本最古の和歌=「八雲立つ出雲八重垣夫婦隠み(つまごみ)に八重垣作るその八重垣を」から引用されたもの。
&本名の「ラフカディオ」は、彼が生まれたこの「島の名前」から命名ものだったんですよん(←今月のウンチク〆)。

1)
毎月最終水曜日この時間は、人知れぬ物語を秘めたヨーロッパの旅にお連れします。

夏につきものの怪談話…「雪女」「轆轤首」に「耳なし芳一」…恐ろしくもどこか切ない日本のお化け。明治時代、これ等をまとめた著書『怪談』で、日本独自の美意識を世界に紹介した作家=小泉八雲ことラフカディオ・ハーン。
ギリシャ生まれのイギリス育ち。不遇な少年が、世界を股にかける記者生活を経て辿り着いた、東の果ての国。。。

本日の目的地は、没後100年を迎えた小泉八雲生誕の地、ギリシャ西部・イオニア諸島の島=レフカダです。

ギリシャの首都アテネからプレヴェザまで飛行機で約1時間。バスに乗換え40分でレフカダに到着です。

Le destination d’aujourd hui est Lefkada(レフカダ)…………。

2)
ギリシャ本土から沖に僅か30m、エメラルドグリーンのイオニア海に浮かぶ島=レフカダ。
温暖な地中海性気候に恵まれ、緑豊かな山々に渓谷、海の色との対比も鮮やかな白い浜辺、甘い香りが漂う丘一面の果樹園、満天の星空…。多くの芸術家も暮らす洗練された町並みの、今やリゾート・アイランドです。

1850年、名門のアイルランド人医師と島の娘の間に生まれたのが、今も生家跡が残る文人・小泉八雲ことラフカディオ・パトリック・ハーン。
6歳で両親が離婚すると、父方の大叔母・イギリスやフランスの寄宿舎、アメリカの遠縁の間をたらい回しにされ、更に16歳で左目が潰れて失明…心にも大きな傷を残します。

残飯を漁る放浪生活。お金の要らない唯一の娯楽は、図書館通いと人間観察。
そんな経験を生かし24歳の時、新聞社に送った社会の暗部を取材した記事が評判を呼び、たちまち売れっ子記者・辛口評論家・紀行文作家として大成功を収めます。

『古事記』を読んで以来の憧れ=「神々が棲む国」日本の松江に1890年、ようやく辿り着いたラフカディオ。
穏やかな海・山・空に町の人々…記憶の彼方から甦る、幸福なレフカダの日々。
その後の人生を大きく変える、40歳の夏の終わりの事でした。

3)
来日後僅か3ヶ月で、旧藩主の娘・小泉節子と結婚、日本に帰化し八雲と改名したラフカディオ。
情緒豊かな日本の四季・風情や文化に日ごと魅せられ、文明開化以降の人々の西洋かぶれを嘆き、誰より「日本人らしく」生きようとした八雲。

蝉の声を背景に、浴衣で縁側に座り、妻が語る怪談に耳を傾ける夏の夕涼み…恐ろしさに潜む切なさ、複雑で繊細な美意識が凝縮された「日本の幽霊譚」。

54歳の秋、狭心症でこの世を去った八雲。
「もう一度だけ、美しい桜の花が見たかった」その最後の望みに応え死の翌日、庭先の桜が季節外れの花を咲かせました。
あたかも日本の幽霊になった、ラフカディオに見せるかのように。。。

4)
今回ご一緒した、日本をこよなく愛した文人・小泉八雲が生まれた島=レフカダ、如何だったでしょうか?

それではまた、来月の旅をお楽しみに。
A la prochain fois !

カテゴリー

  • 最新情報
  • 番組情報
  • レポート
  • プレゼント
  • ネットラジオ
  • リクエスト
  • 番組表
  • 会社情報

月別アーカイブ

▲ページのトップへ戻る