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水曜ラベクル★『ポルシェ誕生の地グミュント村』+徒然par北山裕子

2003.03.17

Visitons au coin de la rue , pour trouver notre specialite !
第15回『グミュント村/オーストリア』(03/05/‘03放送分)

出会いと別れ=新たな旅立ちの3月。
↑と関係なく、『キダム』&試写会『ノー・グット・シングス』(←ミラ・ジョヴォビッチがダシール・ハメット原作のハードボイルドを『郵便配達は二度ベルを鳴らす』の監督とタッグを組んで、21世紀の悪女(運命の女)像を見事に演じています◎)に出掛けては、改めて「体鍛えよう(絞ろう、流石に…)」と反省しきりの今日この頃。
そんな時期(どんな?)にピッタリのテーマは?と、どうせすぐに脱落する腹筋をしながらセレクトしてみたのが、究極のスタイリングと機能=「スーパーカー(あぁ懐かしい響きっ!…スーパーカー消しゴム&改造BOXYボールペンは必携☆+もち、学校帰りに甲州街道沿いの高級輸入車ショールームを覗きにも行ったもんだわさ。。。)*ポルシェ」の誕生秘話でございます。

言わずと知れたドイツの名車「ポルシェ」。が、その誕生の地はお隣の国オーストリア。20世紀の暗部・第二次世界大戦を挟み、今人気の映画「戦場のピアニスト」のシュピルマン以上に歴史に翻弄された天才自動車設計士・ポルシェ親子。父ポルシェに至っては、ベンツ・フォルクスワーゲン・ポルシェ他、現代も人気の名車誕生に悉く関わっています。
「車大好き人間!→どうせヨーロッパに行くなら、ドイツ・シュツットガルトの新車発表会に始まり、各メーカーの本社&博物館巡りにも行っちゃうよ」な方は是非X2、シュツットガルトの現ポルシェ本社併設の博物館と併せて、もうひとつの博物館…オーストリアの小さな村に佇む「ポルシェの聖地」にもお運び下さいませ。。。

1)
月に1度、ガイドブックにも殆ど出ていないヨーロッパの小さな村や町に、たった1つの出会いを求めて出掛ける、『お気に入りを探す旅』。。。
素敵な音楽と共に、本日もご一緒しましょう。

今回訪れるのは、多くのスポーツカー好きの憧れ=名車の誉れ高いポルシェがその産声を上げたオーストリア南部、国境近くの小さな村です。
電気自動車に始まり、ダイムラーベンツのスポーツカー=メルセデスSS、ビートルの愛称で親しまれるフォルクスワーゲン…今も人気のこれらドイツを代表する名車を次々に生み出した天才設計士フェルディナンド・ポルシェ。ナチスの台頭に翻弄されながらも1948年、生まれ故郷のオーストリアに戻った彼は息子フェリーと力を合わせ、ようやく自分達の名前を付けるに相応しい最高傑作に辿り着きました。
本日の行き先は、ドイツの誇るスポーツカー=ポルシェ356が誕生した村=グミュントです。

オーストリア、ウィーンのフランツ・ヨーゼフ駅からイタリアへ抜ける国際特急に乗り、グミュント迄は約2時間半です。

Le destination d’aujourd hui est Gmund…………。

2)
華やかなウィーンから南へ500km、アルプスの山々に囲まれた大自然の中、やがて見えてくるのがイタリアとの国境にも程近い、本日の目的地=グミュントです。
腰板を貼られた白っぽい石壁、木枠の窓に板葺きの屋根…スイスと見まごう建物が点在する小さな村の通り沿いに、かつてのポルシェ設計事務所=現在のポルシェ博物館があります。

オーストリア生まれのドイツ人・電気自動車の設計士として天才の名を欲しいままにしていたフェルディナンド・ポルシェは、その類稀な才能で、ダイムラーベンツ入社後もメルセデスSS等、数々のスポーツカーを世に送り出します。1931年、55歳で念願の独立も果たし、ドイツのシュツットガルトに自らの設計事務所を設立した彼に、やがてナチスの魔の手が迫ります。

「国民の快適な暮らしの為にはアウトバーン(高速自動車専用道路)の建設と大衆車の開発こそが欠かせない」というヒトラーの甘い言葉を鵜呑みにし、低燃費で安価かつ量産可能な車=フォルクスワーゲンを製造し、1935年のベルリン・モーターショーと翌年のベルリン・オリンピックでドイツ、そしてヒトラーの威信を世界に見せ付けました。
…がその僅か3年後、ドイツが戦争を引き起こすと、すぐさま彼は装甲車の設計を命じられ、フォルクスワーゲンはナチスの当初の目的通り軍用62型に改修・量産され、アウトバーンは軍用道路に姿を変えました。そして敗戦…ポルシェ親子への代償は、戦犯としてフランス・ディジョンの収容所で2年間の幽閉生活を送ることでした。

一足早く釈放された息子フェリーは、すぐさま父の故郷オーストリアの静かな村=グミュントで父の志を継ぐ1台の車の設計に没頭します。父の傑作=フォルクスワーゲンのパーツを極力転用したグランプリ・レーシングカー…。やがて開放された父は息子の設計図を見てつぶやきます、「私が作ったとしても、ネジの一本に至るまで、これと同じように設計したに違いない」。

厳しい父から初めて認められた息子の製図に従い、木型が削り出され、50台分の軽金属のボディがハンマーで打ち出されました。1948年、ようやく完成したこの全て手作りの高性能と曲線美を兼ね備えたロードスターに、親子は自分たちの名前「ポルシェ」と命名しました。2人乗りのクーペ、オープンタイプのカブリオレと立て続けに新型も製造した彼らはジュネーブ・モーターショーに出品し、業界中の話題をさらい表舞台に見事カムバックを果たしました。

うっかりすると見過ごしてしまいそうになるこじんまりとした2階建てのポルシェ博物館。歴代ポルシェの他、初期型ポルシェ356のハンマーで打ち出されたボディに木型、J・ディーンが愛したポルシェ550の木型、歴戦の傷も生々しいラリー車等が並ぶここは、やはり「ポルシェの聖地」です。

グミュントから山をひとつ越えた湖のほとりの保養地=ツェル・アム・ゼーに、親子が暮らした小屋が現存し、敷地内の隣り合ったお墓には二人が仲良く眠っています。
きっと今でも、同じ夢を見ながら。。。

3)
今回ご一緒した、親子の夢の結晶=ポルシェ誕生の村=グミュント…如何だったでしょうか。
それではまた、来月の旅をお楽しみに。
A la prochain fois !

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