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『エッフェル塔を造った男@Dijion』★parL*C北山裕子

2006.05.27

Visitons au coin de la rue , pour trouver notre specialite !
第48回『ディジョンの町/フランス』(12/27/2005 OA)

あなオソロシや…またも半年近く更新を貯めてしまった。
貯めるのは小金にしておきたいのに、コラム&脂肪じゃ目も当てられませんのぉ★
…というわけで迷惑千番乍ら、先ずは12月末のOA分から。。。

日本アカデミー賞で15部門中(驚異の!)14部門を制した『Always~三丁目の夕日』。
映画のシンボル的存在が、昭和33年の完成に向けて建設中だった東京タワー。
高度成長期へと向かう中、貧しくも心豊かだった当時の日本人にとって、
それは希望の象徴でもありました。

一方、パリ観光の目玉の一つ=エッフェル塔は「これに登るようではパリっ子とは
言えない」と言われる程、地元住民に不評なのは有名な話(トホホ)。
今回は、国内シェアの殆どを占めるマスタード&カキの名産地=ディジョンが生んだ
「不名誉な評判の塔」にその名を残す建築家=エッフェルにまつわる旅です。

1)
毎月最終火曜日この時間は、人知れぬ物語を秘めたヨーロッパの旅にお連れします。

貧しくも夢があった高度成長期の日本で、豊かな未来の象徴だった東京タワー。
一方、年間600万人が訪れるフランス・パリのシンボル=エッフェル塔は、
当初から「悪趣味で街の景観を損なう」として、Parisっ子達の評判は甚だ芳しく
ありませんでした。

19世紀、鉄骨を大胆に用いた数々の建造物の施工に携わり、世界一有名な塔に
その名を残した男=Gustav Eiffel(ギュスタブ・エッフェル)。

本日の目的地は、エッフェルが生まれたフランス中部の街=ディジョンです。

フランス、パリ・モンパルナスからディジョンまでは特急TGVで約1時間40分です。

Le destination d’aujourd hui est Dijon(ディジョン)…………。

2)
パリから南東へ300Km…嘗てフランス王室以上の権力を誇ったブルゴーニュ公国。
絢爛たるゴシックやロマネスク様式の街並みと、肥沃な葡萄畑が共存する
ブルゴーニュ地方の中心都市=交易の要所として古くから発展し、
宮殿に大学/美術館/有力貿易商の邸宅が軒を並べ、国内シェアの半分を占める
マスタードやエスカルゴ料理でも有名な「プチパリ」の1つ=ディジョンは、
歴史ある芸術と美食の街です。

1932年12月、ディジョン運河に佇む高級ホテルを経営する傍ら豪華な
船上ホテルを考案した敏腕女社長の息子、運河に架かる橋を遊び場に育った
ギュスタヴ・エッフェルは、高級官僚の登竜門・パリの名門校受験に失敗するや
心機一転。
建築に関わる様々な専門技術を身につけると30歳で独立、パリ郊外に総合建設会社
「エッフェル社」を設立します。

鉄道架線や駅の設計施工に始まり、橋、百貨店と次第に仕事を広げる中、
建設中の高架橋が倒壊、大打撃を受けます。
そんな折、革命100周年を記念したパリ万博の目玉として、大理石の太陽の塔etc
多くの公募作品を抑えて選ばれたのが、建築家ソーヴェストル設計の
高さ300mの巨大な鉄塔。
起死回生を掛けたエッフェルは、この難工事に挑みます。

3)
「ここでの食事は最高、パリで唯一この塔を見ないで済む場所だから」と
モーパッサンが揶揄したパリっ子の非難の的=エッフェル塔が、セーヌ川左岸に
完成したのは1898年。
当初20年の期限付きだったこの塔も、TVや電話 のアンテナ基地として、大戦中は
ドイツ軍の無線傍受基地、そして今や光煌く花の都パリの顔として欠かせない
存在です。

建国100年を記念してフランスがアメリカに贈った「自由の女神」の構造設計で、
建築家としても認められたエッフェル。

万博後は一家の住いになっていたエッフェル塔。自ら設計した邸宅に移転し、
毎日塔を眺めながら仕事に励んでいた彼が亡くなったのは1923年…
91歳の大往生でした。。。

4)
今回ご一緒したエッフェルの故郷=ディジョン、如何だったでしょうか?

それではまた、来月の旅をお楽しみに。
A la prochain fois !

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