過去記事アーカイブ

水曜ラベクル★『巨匠ヴェルディの故郷ロンコーレ』par北山裕子

2003.11.25

Visitons au coin de la rue , pour trouver notre specialite !
第22回『ロンコーレ村/イタリア』(10/29/‘03放送分)

新装開店☆毎月最終水曜日の5:35~にお引越しした旅のコーナー。
…とはいえ何処といって変わっていないにも関わらず(汗)すっかりUpdateが遅れてしまい、実にお恥ずかしい限り⇒&そろそろ映画情報も「何とか致します(蒼白)」★

さて今回は、芸術の秋(ベタ∞)∴「これでいいのだ!」とばかりに、19世紀オペラ界の2台巨頭・ワグナー&ヴェルディ…の内、自戒も込めて?苦労人ジュゼッペ・ヴェルディにスポットを当ててみました。
※ヴェルディを連呼しても、↑FC東京ファンの皆さん、くれぐれも誤解の無きようXXX

1)
毎月最終水曜日、この時間は、人知れぬ物語を秘めたヨーロッパの「小さな村」へとお連れします。

「リゴレット」「椿姫」「アイーダ」といえば、イタリア・オペラの巨匠ヴェルディ。オペラ史に華麗な金字塔を立てた彼の生い立ちは、音楽とは程遠い貧しいものでした。
本日の行き先は、ヴェルディが生まれた村ロンコーレです。

イタリア・ミラノからパルマまで特急ユーロスターで約1時間。パルマからは車で40分、または各駅停車に乗換え30分のブッセートから更に6キロ=運良く車がつかまればあと5分でロンコーレに到着です。

Le destination d’aujourd hui est Roncole(ロンコーレ)…………。

2)
古くから芸術と美食の街として栄え、今やサッカーの中田で有名なイタリア北部の都市パルマから西へ20キロ…。未だ鉄道もバスもない、荒地に僅か数十軒が点在する寒村ロンコーレ。19世紀のオペラ界をリードしたもう一人の立役者=ドイツの作曲家ワグナーと同じ1813年、Giuseppe Verdi(ジュゼッペ・ヴェルディ)はここで生まれました。
両親の営む旅籠は、見るからに侘しい石造りの2階建て。無口で内向的なヴェルディ少年の楽しみは、窓から見えるサン・ミケーレ教会から聞こえるオルガンと、宿に立寄る旅楽師の演奏でした。

7歳から教会でオルガンを習い出すや忽ち頭角を現し、音楽愛好家の商人バレッツィの援助を受けブッセートの音楽学校に進学。相変わらずの苦しい生活の中、ただミラノの音楽院行きを夢見ていたヴェルディ、が、学院は「受験年齢を越えている」と入学を拒否します。挫ける事なくミラノで苦しい独学を重ねて音楽教師となり、パトロン=バレッツィの娘と結婚したヴェルディを悲劇が襲います。
25歳で幼い長女が亡くなり、再起をかけてお金も人脈も肩書きもないところから死に物狂いで上演にこぎつけたオペラも好評を得られぬまま、追い討ちを掛けるように息子と最愛の妻までもがこの世を去ります。

そんな絶望の中、再会したスカラ座の支配人にねじ込むようにして渡された台本「ナブッコ」が、彼の人生を大きく変えていきます。

3)
断るつもりだった台本の一節「わが想いよ、金色の翼に乗って行け…」その下りに言い知れぬ感動を覚えたヴェルディは、とり憑かれたように作品を仕上げます。
その「ナブッコ」の大成功に続き、「リゴレット」「椿姫」、スエズ運河開通を記念して建てられたカイロ・オペラ座の?落とし「アイーダ」…と次々に傑作を生み出した彼は、遂にイタリアを代表する作曲家へと上り詰めます。

晩年は私財を投げ打ち、恵まれぬ老後を過ごす音楽家の為のホスピス「憩いの家」をミラノに設立し、自らはどん底時代を支えた2度目の妻が亡くなるまでを、ロンコーレの隣村の別荘で過ごしたヴェルディ。1901年、ミラノのホテルで倒れ、そのまま帰らぬ人となりました…。
「憩いの家」の墓地へと移されていく棺を見送ったのは、葬列に加わった30万人による、第2の国歌となった「行けわが想いよ、金色の翼に乗って」の大合唱でした。。。

4)
今回ご一緒したヴェルディ生誕の地ロンコーレ、如何だったでしょうか?

それではまた、来月の旅をお楽しみに。 

A la prochain fois !

補足:
成功後も若い頃の苦労を決して忘れなかったヴェルディは、私財の多くを投じてホスピスを建設&設立しただけでなく、遺産の半分を嘗て世話になった奨学金・学校・病院に寄付し、また今も印税の全てがホスピス「憩いの家」の運営資金に当てられています。

そんな彼だけに、「貧しい人々が気軽にオペラを見られるように」との願いを込めて資金&名前も提供した筈のブッセートの「ジュゼッペ・ヴェルディ劇場」が、彼の願ったような広くて質素な劇場にはならなかったばかりか、豪華絢爛な小劇場として地方の名士の社交場になった事には大立腹。?落としには彼の名前にあやかり緑一色(イタリア語でヴェルディ=緑)に着飾った紳士淑女が彼の到着を待ちましたが、ついぞその姿を見ることは出来ませんでした。

今も電気が引かれていないロンコーレの生家。
隣村ブッセートに現存する、妻の死後も終生その恩を忘れず、枕元に置かれたピアノを演奏して最期を見取った義父バレッツィの館とピアノ。
成功後に暮らした同じくブッセートの「オルランディ邸」は、後に世界中の名指揮者達の聖地として幾多のタクトが飾られ、また何故か?ムッソリーニとヒットラーの密談にも使われた立派なものでしたが、前妻の親戚・知人に気兼ねして再婚後に移り住んだ終の棲家=更に隣の村サンターガタの別荘には、貧しい荒地で育った彼の積年の夢=広大な農場が作られ、作曲の合間には農作業に精を出したそう。。。

熱烈なヴェルディ・ファンの方には、是非その目で、華麗な作品と質素な人柄のギャップをお楽しみ頂きたいものです(但し交通アクセス劣悪に付き、今回ばかりはレンタカーをお勧めしますが/苦笑)♪

カテゴリー

  • 最新情報
  • 番組情報
  • レポート
  • プレゼント
  • ネットラジオ
  • リクエスト
  • 番組表
  • 会社情報

月別アーカイブ

▲ページのトップへ戻る